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羽田空港 帰宅難民の夜

3月 23rd, 2011 Posted in 出張デンデケデケデケ

もうねぇ、地震があった当日、私ゃ、見事に羽田難民になっちゃったんだけど、
後から振り返ってみると、かなーりラッキーな奴だったのかもしれない。

これがもし、どこぞのJR駅で足止めを食う事になってたら、
それこそ、寒い夜風が吹きすさぶ駅構内で、
プルプル震えながら、一晩を過ごさせて頂く事になっていたと思う。

ところが、羽田空港では、
京急もモノレールもパツーン!と運航停止になっちゃって、完全な陸の孤島になってしまったんだけど、
幸い、水もあれば、電気も来てる、インフラ面では、ほぼパーフェクトな状態。

しかも、空港内って、結構、密封されてて、意外と暖かかったんだわさ。

と言う事で、私なんて、大概、ヘナチョコの部類にはなるのだろうけど、
一応、今後の参考がてら、実際に体験させて頂いた羽田空港での一部始終を、
一記録として留めさせて頂く事にしよう。

羽田空港 地震発生後 帰宅難民の夜

地震が発生して直ぐに、カードラウンジから、JALのサクララウンジへと移動させて頂いたんだけど、
あれ?ここってダイヤモンド・プレミアラウンジの方だったっけ?
(無論、私ゃ、サファイア資格だから普通は利用できない。)

最近、JALのラウンジなんて、ほっとんど使ってないから、詳しくは分からないんだけど、
取りあえず、飛行機が飛ぶ事を信じて、
このラウンジ内で、ただひたすら待ち続けていたのであった。

羽田空港 地震発生後 帰宅難民の夜

ところが、いつまで経っても、全く飛ぶ様子もなく、

羽田空港 地震発生後 帰宅難民の夜

こりゃまた、結構!

なんてツマンナイ事ばかり考えていたのであった。

―で。

羽田空港 地震発生後 帰宅難民の夜

結局、一部の便は飛んだみたいなんだけど、残念ながら、ほっとんどの便はガツーン!と全滅。
(小松行は、14:55発のみ、3時間遅れで出発。)

あえなく空港泊が決定してしまったのであった。

けど、一応、JALのスタッフに周辺ホテルの電話番号一覧表を頂いて、
チョコチョコ、ホテルへ電話を掛けてはみたのである。

ところが、タイミングが悪かった。

なまじ飛行機が飛ぶのを期待して、待っていたものだから、
電話予約開始の波に、物の見事に乗り遅れてしまったのである。

その時、ちょうど19時くらい。

どのホテルへ電話をしてみても、もう見事に出ない出ない・・・・・。

例え、繋がったとしても、判で押したように「満室です!」のオンパレード。

試しに、グランドハイアット東京にも掛けてみたんだけど、
ふにゃぁ、ダイアモンドメンバーの御威光も、ぜーんぜん通じる事なく、
ここでも、やはり、「満室です!」の一点張り。
(まぁ、例え部屋が取れても、移動の足もなかったんだけどね。)

もちろん、ハイアットリージェンシー東京も×。

だったら、しょうがない。

東京都内のホテルと言うホテルは、隅から隅までズズズイっと満室なんだろうと推察させて頂き、
空港で泊まってやるかである。

ハイアットでもダメなのだから、どこへ掛けても同じなのだろう。

ところで―。

そうそう、この事は書いておかなきゃ。

そン時、全くと言って良いほど、携帯電話が繋がらなかったものだから、
普通の方と同じように、公衆電話を利用させて頂く事にしたのであった。

ただ、JALラウンジ内に公衆電話はなく、ラウンジの外に設置してある奴を使わせて頂いたんだけど、
驚いた事に、いくら電話を掛けてみても、入れた10円玉が、そんぐりそのまま返って来るのである。
(参考までに、カードラウンジの方は、10円玉が使えないカード式の公衆電話であった。)

後で調べてみた所、以前、阪神大震災が起こった時にも、やはり携帯電話が繋がらなくなって、
大勢の方々が公衆電話に殺到したんだそうな。

で、電話内に収め得る10円玉の許容量がパンクして、
結果、電話を掛ける事ができなくなってしまったんだとか。

だもんで、こう言う非常時には、電話の中に10円玉が溢れ返らないように、
何回利用しても、10円玉が返って来るように設定し直すのだそうである。

とここで、紙幅が尽きてしまった。

続きはまた。

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