もうねぇ、天井が落ちて来るんじゃないかと思うくらい、スンゴイ地震に見舞われたんだけど、
そン時、意外と私は冷静だった。
まぁ、単に状況が理解できず、ただただ呆気に取られていただけなのかもしれないけども、
そうは言いつつ、
地震が起こった → 飛行機は飛ぶのか? → モニターを確認
→ 情報量を多く取るべくJALサクララウンジへ移動
などなど、瞬時に現況を見極め、トットコ、矢継ぎ早に行動を起こして行った私。
何せねぇ、業務上、突発的なトラブルなんて、しょっちゅうあるのである。
物事が計画通りに進まないのは当たり前、
予期せぬ事態などバンバン経験させて頂いているものだから、
エマージェンシーなど、最早、慣れっこ。
そんな時は、今置かれている状況を的確に見定め、把握した上で、最も効果的な方法を探る、
と言う事が、最も大切な事であり、オタオタしてみた所で、決して始まらないのである。
―欠航が決まった。
大丈夫、大丈夫!
―空港泊が確定した。
No problem!
と言う事で、次なる私のアクションはっちゅうと、
ヤケ酒・・・・・・。
こーんなもん、酒でも呑まんとやってられっか!である。
プラス、
ヤケ・カツカレー・・・・・・。
腹が減っては戦はできぬ、取りあえず、食べれる中に食べとかんかーい!作戦である。
幸い、多くの飲食店は営業を続けており、
この時は、出発ロビー階にある「ル・シエール」を利用させて頂いたんだけど、
ありがたい事に、営業時間を30分ほど延長して下さったようである。
と言いつつ、21時くらいには、チャッチャと店を追い出される事になったんだけど、
実は、この時、メシを食う以外に、もう一つ目的があって、すなわち―。
お店のお姉ちゃんから、寝床用に段ボールを頂戴させて頂いたのであーる!
(プラス、枕代わりに普段持ち歩いているヨックレスト!)
いや、野宿をするのに、この段ボールが有るのと無いのとじゃぁ、ぜーんぜん違うのである。
段ボールを下に敷いて寝ると、床からしんなり伝わって来る冷たさも見事にシャットアウト!
しかも、クッション代わりにもなって、結構、寝心地も良いのである。
うーむ、こんなもん敷いて寝るなんて、大学生ン時以来だなぁ。。。。。。
連れと一緒に呑んでて、ついつい終電に乗り遅れてしまい、
梅田にある某公園で、段ボールと新聞紙にくるまって一晩を過ごしてあの日。
何だか、妙に懐かしいぞ、コンチクショーーーーッ!なのであーる。
と言いつつ、空港泊の場所取り合戦についても、見事に乗り遅れてしまったので、
私ゃ、どうにかこうにかスペースの空いている所、
つまり、出発ロビー階、セキュリティゲートの真ん前で、陣取る事にさせて頂いた。
恐らく、B1ロビーが最も透間風が来ないので、一番暖かいフロアになるんだろうけど、
あいにく、私ゃ、喫煙者。
外へと出易い位置、と言う事を最優先させて頂く。
で、チョコチョコ、外へ赴いては、プカリと一服。
もう、車一台通らない、実に静かな夜だったのだが、
偶に、家族の方が自家用車で出迎えに来られる時もあって、
「全然、車が動かなかったよぉ!」
なんて事を、しきりに仰っておられた。
やっぱ、電車が動いてない分、どうしても車に集中しちゃうんだろうなぁ。
そいと、空港泊で良かったなぁ、って思う事は、
途中、空港職員の方々が、非常用の毛布を持って来て下さった事。
銀色の包の中には、しっかと厚手の毛布が入っており、
やっぱ、吹きっさらしのまま寝るよりも、毛布があった方が、断然、暖かいものなぁ。
ただ、追加追加で結構な枚数を配っておられたのだが、
最後の方では、あえなくその非常用毛布も切れてしまったみたい。
プラス、毛布が梱包されていた段ボール箱を潰して、ついでにこれも配っておられた。
そして、無事、椅子を確保できた幸せな人達。
ちなみに、青い毛布は、スカイマークが配給して下さったブランケットである。
我らがJALも、機材に積んである赤いブランケットを空港内で配って下さったみたいだが、
(翌日乗った便のCAさんにお聞きした。)
結局、私はその光景を目にする機会はなかった。
また、空港職員の方が、何やら、ペットボトルや缶詰が入った非常食セットも配って下さったと聞くが、
残念ながら、これにも私は遭遇せず終い。
(朝食弁当は、ジャスコのトップバリュー弁当だったんだそうな!)
まぁ、タイミングが悪かったのだろう。
ほんで、空港内は、どうやら一晩中照明が点いていたみたいで、
私は、持っていた週刊誌をポンと開いて顔の上に乗せ、1時くらいに就寝。
ただし、セキュリティゲートの前で寝ていたので、翌朝6時過ぎには、叩き起こされる。